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  • 執筆者の写真Tokyo Bay Bible Fellowship

第二サムエル15章13節~18節 キリストの様に歩む恵み



今朝のデボーションは第二サムエル15章13節〜18節です。


アブサロムがダビデの王位を奪うための陰謀は進み、アブサロムの支持者が増加しました。それを耳にしたダビデは、身の危険から恐れを感じ、逃げる選択をし、家来を連れて逃げ始めました。しかし、この選択は賢い選択であったのでしょうか。


聖書では、悪は誰も追い掛けていないのに逃げ、義なる者はライオンのように大胆であると教えています。(参照 箴言28章1節)逃げるのではなく、大胆に神様の御計画を推進する選択をすることもできたでしょう。私たちが攻撃されるのではないかという不安や恐れを感じた時、どのような選択肢があるのでしょうか。

  • 私たちの心や考え方が悪魔にハッキングされているのであれば、悪魔を私たちの足元に置くように命じましょう。

無意識の内に、悪魔が霊の世界でその力を発揮する事(参照 エペソ6章12節)を許すならば、私たちが心で、考え方で正しい選択をするように試みても、上手く行かないことがあります。この状況に直面したとき、私たちは悪魔を足元に留まるように命じ、(参照 マタイ4章10節)私たちの足元で神様により破壊されていることを、信仰告白し続けることが大切です。(参照 ローマ16章20節)上手く行かない理由が分からないことがあるでしょう。これは霊の世界の戦いですから、私たちもその理由が分からないことがあります。単にネガティブな思考をポジティブな思考に置き換えるというレベルでは無い事があります。

  • 私たちがその場を去る選択を検証する。

危険が近付いたときに、私たちは逃げる必要があるのでしょうか。何よりも先ず、神様の御導きを信じ、期待しましょう。(参照 詩編46篇10節)所謂、物理的な危険では無い時に、耳や目から入る情報から自分を追い込み、神様が喜ばれない選択をしていることは無いでしょうか。殆どが、後者の場合が当てはまるのではないでしょうか。何も起きていないにも関わらず、自分で否定的な選択をするのです。私たちの選択は、視界に入るものからではなく、信仰によるものであることが大切であるのです。(参照 第二コリント5章7節)

  • 不安や恐れの感情ではなく、愛の信仰を選択する。

キリストがゲッセマネの園で十字架に架かるのを嫌がりましたが、神様の御計画が推進されることを三回祈られ、十字架へと前進されました。(参照 マタイ26章39節〜46節)感情ではなく、信仰により歩む選択をされたのです。私たちは日々数多くの選択をし続けますが、意識して信仰の選択をし続けることが大切です。起床から就寝迄、私たちが

神様が喜ばれる選択をし続けることが重要であるのです。気分を害されることを言われれば、その事を考え続けますでしょうか。もしくは、信仰により寛容になる選択をして、(参照 箴言19章11節)どのようにして気分を害した人に愛を示し、祝福になることができるかを考えますでしょうか。(参照 第一ヨハネ4章19節、ローマ12章21節)キリストは、愛されている人を愛して、何の価値があるのかと、私たちに問いかけられています。(参照 マタイ5章46節〜47節)感情的には良い気分では無くても、この正しい選択をし続けることが大切であるのです。そして、この愛が恐れを締め出すのです。(参照 第一ヨハネ4章18節)


今日も私たちの心を守る選択をし続けましょう。神様が喜ばれる信仰の選択をし続けるのです。感情的になり、無意識の内に選択している悪に善で克服し、勝利し続け、

大胆に信仰生活を歩み通しましょう。


神様の豊かな祝福がありますように!


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