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執筆者の写真Tokyo Bay Bible Fellowship

第一サムエル2章27節~36節 キリストのように歩む恵み



今朝のデボーションは第一サムエル2章27節〜36節です。


エリが神様よりも息子たちを優先して、捧げものをしていたことに関して、神様は憤りを示されます。しかし、神様は新たな祭司をたて上げ、その祭司は神様の御心に応じて歩み、頭となり、人々を養うと語られました。


私たちの日々の生活の中心は何でしょうか。神様でしょうか。私たちが愛する人々でしょうか。神様の国とその義を第一にすれば、全てが加えて与えられると神様は約束されています。(参照 マタイ6章33節)神様は、私たちが愛する子供たちなどの祝福となり、養うことも可能にしてくださるのです。


私が個人的に尊敬するクリスチャンの人たちは、敢えて経済的な必要を具体的な数値に表して祈ることはせずに、このマタイ6章33節の御言葉を信じ、期待し、宣言をすることを通じて、全ての必要が豊かに与えられると証されています。経済的な必要を具体的な数値に表して祈ること自体に問題があるのではなく、私たちの必要を私たちが具体的に決めつけてしまうことに問題があるのかもしれません。何故ならば、神様は私たちの想像を遥かに超えることを成し遂げられ、(参照 エペソ3章20節)それに応じた必要を豊かに満たされるからです。


使徒パウロのミニストリーを経済的に支えることを通じて神様の働きに参画したピリピの教会の人々も、全ての必要が豊かに与えられるという約束を受け取りました。(参照 ピリピ4章19節)


神様は、エリヤにはその場を去って、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに行きなさいと命じられ、水は川から、食べ物はからすが養うように命じたと仰せられました。(参照 第一列王記17章4節)


私たちが神様の御計画の中で歩み続ける中で、神様は超自然的に必要を与えてくださるのです。つまり、神様が私たちに青信号を出すならば、信仰により踏み出し、神様があらゆる必要を豊かに満たしてくださるということです。


神様は、私たちが頭として、栄え、人々の祝福となることを御計画され、願われています。神様の青信号が出れば、信仰により踏み出し、神様が御計画されている満ち溢れる程の豊かな人生(参照 ヨハネ10章10節)を歩み通しましょう。


神様の豊かな祝福がありますように!


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