今朝のデボーションはローマの信徒達への手紙9章6節~13節です。
私達はどれほど、神様の御約束を受け取りたいでしょうか。
アブラハムとサラは、途中で躓く事もありましたが、最後の最後まで御約束のイサクを受け取るまで、信仰により、待ち続けました。
ヤコブとエサウに関しましても、エサウが長男で、初めに生まれたのですから、社会的には祝福を受ける権利がありました。しかし、御約束を通して、ヤコブが受け取ったのです。これは神様が御約束を通して、祝福を与えられることを示すためでした。
信徒達が受け取る祝福は、受けるに値するから受け取るのではなく、恵みと選択であるのです。ヤコブは、祝福されることを強く求め、行動に移しましたから、受け取る事が出来、名前もイスラエルが与えられました。
キリストは神様の初めの息子で、祝福を受けるに値しましたが、罪になられました。何故でしょうか。その後に続く、信徒達が、選択により、祝福を受け取る事が出来るためです。
全ての御約束は、キリストを通して、成就されています。(参照 第二コリント1章20節)私達は、受けるに値しない恵みを信仰により受け取り、告白する事を通して、それを体験する事が出来るのです。(参照 創世記1章3節)
信徒達は、言動を通して、私達の信仰を示すことが出来ます。(参照 ヤコブ2章18節)
今日も、世の中の基準で物事を判断するのではなく、神様の御約束を基準に歩み続けましょう。神様は満ち溢れる程の、豊かな人生を既に与えられているのです。(参照 ヨハネ10章10節)その恵みを信じ、選択し、歩み通しましょう。
神様の豊かな祝福がありますように!
Comments