今朝のデボーションはローマの信徒達への手紙3章5節~20節です。
神様の基準に到達できる者は、この世の中には存在しません。
私達は律法を通して、つまり、言動を通して、義になる事は出来ません。何故ならば、義なる者は、信仰により、歩むからです。(参照 ローマの信徒達への手紙1章17節)
言動に関する規定や規則は、私達の罪深さを知らしめるだけであるのです。聖書的な律法とは厳密には異なりますが、この社会で多く表示されている禁止の表示は、人類が物事をきちんと守る事が出来ないという前提を知らしめる手段でもあるという意味で、本質的には同じ目的があります。
信仰とは何でしょうか。私達が望む事柄が成就されることを保証し、肉眼では見えない物が、存在する事を確証する事です。(参照 へブル人への手紙11章1節)人間的には厳しい状況に直面している時、信仰で歩む事はチャレンジであるでしょう。しかし、信徒達は、信仰により歩む事が大切であるのです。私達が望む事柄が実際に見えていなくても、保証されているのですから、信じ、安らぐことが正しい、選択です。信じる事を通してのみ、私達は安らぐことが出来ます。実物を見て、安らぐのではないのです。(参照 へブル人への手紙4章3節)
では、私達は何を信じ、望みますでしょうか。御言葉です。キリストは、私達がすべき神様の働きは、キリストを、御言葉を信じる事だけであると仰せられました。(参照 ヨハネ6章29節)神様は聖書に於いて、健康、経済、人間関係他様々な事に関して、知恵を与えられ、御約束を与えられています。聖書では、私達が安らぎへ入る事が出来るように、努めるように教えています。この安らぎは、信仰を通してのみ体験する事が出来ます。(参照 へブル人への手紙4章11節)
経済的に厳しい状況に直面した時、億単位の金額が銀行口座にあるという事が安らぎを与えるのではなく、既に満ち溢れる程に与えられている事を信じる事が安らぎを与えるのです。
現代社会では、銀行口座が乗っ取られ、不正に引き出される事件が多発しています。しかし、羊飼いである神様は、既に満ち溢れる程に羊達に与えられているのです。(参照 詩編23篇1節)神様の国とその義を第一に求めるならば、全ての必要も、豊かに与えられるのです。(参照 マタイ6章33節)如何に厳しい状況でも、これらの御約束を信じ続ける事が正しい選択です。神様は私達の願いを叶えて下さいます。(参照 詩編37篇4節) 神様の御計画は私達の願いに現わされます。この御約束を信じる選択をしましょう。
今日も信仰により、歩み続ける事が出来ますように。
神様の豊かな祝福がありますように!
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