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レビ記4章13節~21節 キリストの様に歩む恵み

  • 執筆者の写真: Tokyo Bay Bible Fellowship
    Tokyo Bay Bible Fellowship
  • 2024年7月21日
  • 読了時間: 2分


今朝のデボーションはレビ記4章13節〜21節です。


キリストが十字架上で人類の罪のため御自身を捧げられたことを見ることができます。この犠牲により、私たちは信仰により神の義の賜物を受け取ることができるのです。(参照 エペソ2章8節~9節、第二コリント5章21節)自分がいかに責め立てるに、非難するに相応しい存在であると理性が考えても、真実は異なるのです。


私たちは育った環境にも影響を受けます。自らが価値の無い存在であると誤解して、育つならば、自らが神の義であるという御恵みを信じるのは簡単なことではないでしょう。神様が喜ばれる前向きな思考と姿勢を持っても、私たちが無意識の内に、気付かない領域で、価値の無い存在であると受け入れてしまっている可能性があります。私自身が価値の無い存在であると誤解し、信じるならば、私たちの日々の生活の言動にもその実が現れます。自分は駄目な存在であると思えば、自分が行った一つ一つの言動に対しても不安を感じ、何度も確認して、繰り返すという可笑しな行動に出ることもあります。


私たちが起床した後に考えることは何でしょうか。自分を責め立てる考えが自然に起こり、その対処法が分からなければ、何らかの行動に出て、解決することを考えるかもしれません。問題解決という姿勢自体には問題は無いですが、動機として、自分を責め立てることを、行動を通して、解決しようとするならば、自分は駄目な存在であるという誤解は解決されず、自由を体験することは難しくなります。


今日、私たちは信仰により、神の義であることを信じ、告白し続けましょう。私たちはキリストの様であり、(参照 第一ヨハネ4章17節)傑作品であり、(参照 エペソ2章10節)光です。(参照 マタイ5章14節)この真実からスタートし、信じ、受け入れ、良い実を結び続けましょう。


神様の豊かな祝福がありますように!


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