今朝のデボーションはレビ記26章27節~33節です。
神様に反逆するならば、同じ様に反逆するという律法を教えられています。何故、神様は長い間、愛するイスラエルの民に律法の時代を敢えて通過させたのでしょうか。直ぐにキリストを送る選択肢もあったことでしょう。聖書には、律法は人類がいかに罪深いかを知るために用いられたと書かれています。(参照 ローマ3章20節)
私たちは神様の全てをこの地上で理解することが不可能でしょう。このために、理解に頼らずに、心を尽くして、主に信頼するように教えられているのでしょう。(参照 箴言3章5節)主を信頼する者には平和が与えられます。(参照 イザヤ26章3節)信頼が必要であるということは、予め、私たちが全てを理解できないからです。
今日、私たちが理解できないために苦しんでいることは何でしょうか。全てを理解することを諦め、何よりも先ず、神様を信頼することに焦点を合わせましょう。何よりも大切な平和を優先しましょう。
神様の豊かな祝福がありますように!
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