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執筆者の写真Tokyo Bay Bible Fellowship

レビ記26章21節~22節 キリストの様に歩む恵み



私たちが神様に従わない報いは何でしょうか。


被害妄想が、神様に従うことを選択しない罪の報いであることも書かれています。被害意識を自分で勝手に作り出す被害妄想は、神様が喜ばれない心の状況です。神様に従う選択をすることが、被害妄想の解決策なのです。私たちが神様に従う選択をするには、私たちの何が変わる必要があるでしょうか。


自分はそもそも駄目な存在で、必要以上に自分を責め立てていることはないでしょうか。私たちはキリストの様ですから、神様の様に創造されています(参照 創世記1章27節)から、責め立てるのは可笑しなことです。しかし、この罪が人類の罪の根底にあるのです。(参照 創世記3章5節)私たちの脳裏では、頭の中では、心の中では、一日中騒がしく、戦いが起きているかもしれません。そのような状況に直面し、そもそも自分のメンタルに問題があると考える代わりに、私はキリストの様であり、キリストの様に考えることができる(参照 第一コリント2章16節)と信じ、告白するとき、私たちは自分を責めるのではなく、信仰により、安らぐことができます。そして、キリストの実を結ぶことができるのです。(参照 ヨハネ15章5節)


私自身は、長い間、自分を責め続けました。理由なく、謝罪するように教えられ、育った背景も影響しているでしょう。そもそも駄目な存在であると考えていた自分を酷く、責め続けた背景には、失敗への恐れ、完全主義、周囲からの評価にも影響されていたでしょう。この悪の仕業が明確になり、この仕業を私の足元に置く幻が明確に現わされ、私がキリストの様に創造されている真実を知り、この真実が心に刻まれ、確信を得れるまでには日数がかかりましたが、私の霊の目の前に、明確に幻として、ヴィジョンとして現わされました。わざわざ、自分が緊張して、イライラするまで追い込む必要は無いのです。私は神に似せて創造されたのです。(参照 創世記1章27節)


今日、理由なく、自分を責め立てる選択をするのを止めましょう。私たちはキリストの様であり、十二分の存在です。神様に従う選択をし続けましょう。


神様の豊かな祝福がありますように!


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