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執筆者の写真Tokyo Bay Bible Fellowship

レビ記13章59節 キリストの様に歩む恵み



今朝のデボーションはレビ記13章59節です。


キリストが十字架に架けられ、私たちの罪は赦され、病も癒されたのです。(参照 イザヤ53章5)何という素晴らしい御恵みでしょうか。では、私たちが神の義であるという真実(参照 第二コリント5章21節)を体験することを妨げていることは何でしょうか。


私たちは自分自身に対してどのようなイメージを持っているでしょうか。この世の人々の殆どは、自らに対して否定的なイメージを持っていることでしょう。自分はそもそも駄目な存在だ。自分は精神的に問題があり、弱い存在だ、などです。しかし、御言葉では、私たちはキリストの様であり、(参照 第一ヨハネ4章17節)恐ろしいほどに、素晴らしく創造されている(参照 詩編139篇14節)と書かれています。


今日、私たちに関する真実を受け入れ、告白し続けましょう。(参照 箴言18章21節)


キリストが示された赦しは、罪を許可し、苦しむことでもありました。(参照 マルコ11章25節)この世には試練や苦難があります。(参照 ヨハネ16章33節)この真実を避けるのではなく、受け入れることが大切です。私たちは、むしろ、安息と平安を体験できます。自由も体験できます。(参照 ヨハネ8章32節)


今日も、直面する苦難を真実として、受け入れ、安らぎましょう。


私たち自身が自分を責め立てて、苦しんでいることもないでしょうか。愛は全てを信じます。つまり、相手の最善を信じるのです。動機を含め、懐疑的に、否定的に考えてしまうのならば、その反対に、最善の動機を信じるのです。(参照 第一コリント13章7節)


今日も、いかに酷い対応をされたと感じても、相手が良い動機で行ったことを信じる選択をしましょう。


私たちは無意識の内に、人々の否定的な側面を見る傾向があるかもしれません。私たちは優れた、賛美に値することを考えるように教えられています。(参照 ピリピ4章8節)考えたくないと思うような人々でも、良いことに関しては、神様に導かれれば、一日中考える覚悟を持つことが大切です。


今日、酷いことをされたと感じる相手に対しても、感謝すべき、良いことを思い起こしましょう。


私たちは失敗に対する恐れから、何度も考え、立ち止まり、前進するのを妨げていることはないでしょうか。聖書で用いられている恐れphobeoは、引き下がる、逃げる、避けるという意味が含まれています。(参照 ルカ12章7節)つまり、恐れは感情ではなく、選択と行動です。


今日、恐れを感じながらも、前進する選択をしましょう。


今日、以上のことをおぼえて、神の義として、キリストの安息へと入りましょう。キリストは私たちを安息へと招かれています。(参照 マタイ11章28節)御言葉の真理が私たちを自由にします。(参照 ヨハネ8章32節)


神様の豊かな祝福がありますように!


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