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  • 執筆者の写真Taro Kaji

ルカ21章34節~36節 キリストの様に歩む恵み

更新日:6月9日


今朝のデボーションはルカ21章34節〜36節です。


キリストは引き続き、御再臨に関して語られています。この世の中の人々は不安や恐れに圧倒され、どんちゃん騒ぎで倒れ、憂鬱になり、自己中心的になると語られています。このような状況ですと、私たちは必然的に、人間関係で苦しみを体験することになるでしょう。私たちは苦しみを真実として受け入れることが大切です。


私たちは人間関係で赦す選択をしているでしょうか。私たちは過去に人間関係で受けた傷から自由でしょうか。聖書が教える赦しの一つであるギリシャ語のaphiémiは、許可する、苦しむなどの意味が含まれます。つまり、酷い事をされても、それに否定的に反応しないということです。酷い事が無かったかのように愛し続けるのです。キリストが十字架に架けられたときに、天の御父様に赦すように祈られましたが、この箇所の赦しもaphiémiが用いられています。(参照 ルカ23章34節)私たちが自由であるとき、相手が語る言葉に気分を害されても赦し、相手が伝えたいことの本質を聞くことができるようになります。このためには、何よりも、私たちが日常的に、キリストにも赦されていることを知り、体験することが大切です。(参照 第一ヨハネ4章19節)赦さない選択をするとき、不要な荷物を担ぎ続けることになり、肩の荷が重くなります。この荷物を横に置いて、前進し続ける選択をしましょう。(参照 へブル12章1節)赦すことを通して、私たちはどれ程の自由を体験することができるでしょうか。信仰、喜び、平安、愛に溢れる、この世の中が今進んでいる方向とは真逆の方向へと進み続けることができるのです。何という素晴らしい御恵みでしょうか。


今日も何よりもキリストに赦されている御恵みを信じ、受け入れ続けましょう。私たちは神様の基準には到底達することはできませんが、過去、現在、将来の罪は全て赦されているのです。(参照 第一ペテロ3章18節)そして、その赦しの御恵みが、神様の愛が、私たちを通して、益々周囲にも現わされますように。


神様の豊かな祝福がありますように!


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