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執筆者の写真Tokyo Bay Bible Fellowship

ルカ20章1節~8節 キリストの様に歩む恵み



今朝のデボーションはルカ20章1節〜8節です。


神様は素直な心に語られます。キリストは祭司長、律法学者、長老たちの質問に対する動機を御存知でしたから、彼らの質問には回答せず、同じように質問されました。キリストは彼らの罠に捕まることを避けることもされたのです。私たちがコミュニケーションが難しいと感じる人々とどのように会話をしたら良いのでしょうか。私たちが伝えたいことを熱弁しても、心を開かない人々に語っても、空しく終わるのです。(参照 マタイ7章6節)


私たちは過去に人間関係で受けた傷から自由でしょうか。聖書が教える赦しの一つであるギリシャ語のaphiémiは、許可する、苦しむなどの意味が含まれます。つまり、酷い事をされても、それに否定的に反応しないということです。酷い事が無かったかのように愛し続けるのです。キリストが十字架に架けられたときに、天の御父様に赦すように祈られましたが、この箇所の赦しもaphiémiが用いられています。(参照 ルカ23章34節)私たちが自由であるとき、相手が語る言葉に気分を害されても赦し、相手が伝えたいことの本質を聞くことができるようになります。このためには、何よりも、私たちが日常的に、キリストにも赦されていることを知り、体験することが大切です。(参照 第一ヨハネ4章19節)


つまり、私たち自身が話すよりも、相手の話を聞くことを優先しましょう。相手の話が必要以上に長く感じ、忍耐を失い、怒り、感情的になることはないでしょうか。それでも、相手の話を聞くことを優先しましょう。(参照 ヤコブ1章19節)


相手が話をし易いように、質問をしてみましょう。どのように質問すれば、相手が私たちに伝えたいことを伝え易くなるでしょうか。相手の心の動機、本質を知ることができるようになるでしょうか。キリストは祭司長、律法学者、長老たちのキリストへの心が頑なであることを知りながらも、質問することを通して、コミュニケーションを図りたかったのでしょう。


今日も周囲の人々とのコミュニケーションを大切にしましょう。相手の質問に対して、敢えて回答せずに、逆に質問して、相手の心の本質を分かち合い、コミュニケーションすることもできるのです。


神様の豊かな祝福がありますように!


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