今朝のデボーションはルカ18章9節〜14節です。
謙る者は高められ、高ぶる者は低められます。神様の前で謙る者とはどのような者でしょうか。神様が必要であると認める者たちです。
今朝の箇所を見ますと、高ぶる者は、神様の御心を日々行っているように見えますが、それが故に自分は偉く、他の人々よりも勝っていると誇らしげな態度を取っています。しかし、謙る者は、自らが罪人であると認め、神様が必要であると告白しています。私たちはキリストを通して以外は何もできませんが、キリストを通しては、豊かに実を結ぶことができるのです。(参照 ヨハネ15章5節)
つまり、私たちは人生のどのステージにおいてもキリストが必要であるのです。自分は大丈夫であるけれども、貴方は駄目であるという考え方の問題の本質は、キリストとの関係の前に、プライドが先に来ているためです。モーセは自らが世界一謙遜であり、(参照 民数記12章3節)使徒パウロは自らが最も主のために働いていると語りました。(参照 第一コリント15章10節)いずれも神様との関係を第一にして歩み通した者たちです。
私たちは何かを達成したら自分は素晴らしいと考えるでしょうか。もしくは、神様に従い続けることを選択し、良い実を結んだと考えるでしょうか。自分に栄光を帰したとき、私たちは次の目標達成に進むための力を失うことになります。私たちが成長し続け、栄え続けるためには、常に神様との関係を第一にして、歩み続けることが大切です。私たちの成長、成功と繁栄が神様との関係を通して与えられていることを証しすることは、むしろ、素晴らしいことであるのです。
今日も、御声を聞いて、前進し続けましょう。
神様の豊かな祝福がありますように!
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