今朝のデボーションはヨシュア2章22節~24節です。
ヨシュアの派遣した偵察隊の二人は、御約束の地の人々は、イスラエルの民を恐れ、主が既に与えられたと報告しました。おそらく、この二人が見て、聞いた内容は、全てがポジティブな要素では無かったでしょう。一方で、イスラエルの民を迎え撃つ事を考えていた人々も居たかもしれません。
クリスチャン達は献金をします。献金の恵みは経済的な祝福に限りません。神様は全てに於いて、恵みを満ち溢れさせ、(参照 第二コリント9章7節~8節)天の窓を開き、
捧げる者達の手の業を祝福されます。(参照 マラキ3章10節)私達は神様が与えて下さっている恵みに意識を寄せる事が大切です。頂いていない事に関しても、引き続き、
信じ、期待はしますが、何よりも、与えて下さっているポジティブな要素を先ずおぼえましょう。私達の信仰を生かし、働かせることが大切です。神様は信徒達に、力、愛と、自制の霊を与えられたのですから、これらの賜物を生かすことが大切です。(参照 第二テモテ1章6節~7節)神様が、私達の信仰生活に於いて成し遂げて下さった素晴らしい御業を思い起こしましょう。(参照 詩編105篇5節)
信徒達は、肉眼で見えるものではなく、信仰により歩むのです。(参照 第二コリント5章7節)信仰無くして、神様を喜ばせる事は出来ないのです。(参照 へブル11章6節)信仰とは、望む事柄が確証され、肉眼では見えないものが実証される事です。(参照 へブル11章1節)私達が望む事柄は何でしょうか。心、人間関係、健康、経済、学業、仕事、教会活動他、様々な領域に於いて、望む事柄は何でしょうか。神様は私達の願いを叶えて下さいます。(参照 詩編37篇4節)厳しい状況に直面したら、自分の知恵を用いて問題の解決に取り組むのでしょうか。アブラハムとサラは、信仰を失い、自力で問題を解決しようとしました。そして、アブラハムとハガルを通して、イシュマエルが生まれました。(参照 創世記16章)イシュマエルからイスラム教がスタートしました。不信仰の結末は悪いものです。つまり、常識的には不可能であると見えても、信仰により歩み続けるのです。私達は何を第一にして歩んでいるかが、心の動機が試される時です。最後の最後に、神様は満ち溢れる、豊かな御約束を私達に与えて下さいます。(参照 創世記22章)
今日も、信仰生活に於いて経験した、神様の恵みを思い起こしましょう。クリスチャンの歩む道は、信仰を通してのみであるのです。不信仰の誘惑に負けずに、妥協せずに、直面している状況に惑わされずに、信仰生活を歩み通しましょう。何よりも大切であるのは、御前での、私達の心の動機です。(参照 へブル4章12節)神様が喜ばれる、信仰の選択をし続けましょう。
神様の豊かな祝福がありますように!
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