今朝のデボーションはネヘミヤ13章15節~18節です。
今朝の箇所では、安息日に関して書かれています。旧約聖書の律法の時代には、安息日には、全ての行動を止めることが命じられていました。しかし、新約聖書の時代になりますと、キリストは安息日に、人々を癒しました。(参照 マタイ12章11節~13節)
旧約聖書の安息日は、ヘブライ語shabathが語源で、止めるという意味が含まれています。
但し、新約聖書の安息に関しましても、ギリシャ語anapauóが用いられていて、止めるという意味が含まれます。(参照 マタイ11章28節)しかし、新約聖書の安息には、ギリシャ語katapausisも用いられていて、この安息は動詞の現在進行形です。(参照 へブル4章3節)
私たちは、どのようにして、安息の中で、動き続けることができるのでしょうか。それは、信じることを通してです。(参照 へブル4章3節)キリストが2000年前に、十字架上で「完成した」と仰られたこと(参照 ヨハネ19章28節~30節)を信じるならば、私たちは安息の中で、働き続けることができるのです。つまり、先ず全てのことから解き放たれ安息し、安息のなかで働き続けるのが、現代のクリスチャンたちの正しい歩みであるのです。この二つの要素が大切であるのです。
キリストが十字架上で2000年前に完成されたのですから、私たちはそれに付け加える必要は無く、感謝し、安息することができます。これがshabathやanapauóにあたります。信徒たちがすべきことは、生ける水が、聖霊様が、私たちの内側から川の様に流れることを信じ、その流れと共に歩み続けることであるのです。(参照 ヨハネ7章38節)これがkatapausisにあたります。
今日も、先ずは、キリストがその御働きを完成されたことを信じ、安らぎましょう。私たちの力で何とかしようとするのは愚かなことであるのです。あらゆる罪の源である悪魔は私たちの足元で破壊されているのです。(参照 創世記3章1節~7節、ローマ16章20節)そして、私たちは、川のように流れる歩みを、安らぎの中で体験し続けることができるのです。
神様の豊かな祝福がありますように!
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