top of page
執筆者の写真Tokyo Bay Bible Fellowship

エペソ3章14節~19節 キリストの様に歩む恵み



今朝のデボーションはエペソ3章14節〜19節です。


私たちは神様を、そしてその愛を満ち溢れるほどに体験しているでしょうか。神様に関する単なる知識を遥かに超える体験です。私たちが神様を満ち溢れるほどに体験するということは、神様が喜ばれないことは、私たちの内側に留めないということです。


私たちが留めてしまう傾向の強いものは何でしょうか。人々に酷いことをされたときに、その体験を留めてしまうことでしょう。酷いことといっても、衝撃的なものもありますが、努力して、考えないようにして、我慢する些細なものもあります。しかし、これらが私たちの記憶、考え、心に留まり続けることを許すと、根が深くなり、手放すのに苦労することになります。


神様の愛は酷いことをされても、それを記録しません。(参照 第一コリント13章5節)過ぎ去った事に気を留める姿勢は、神様の国には相応しくない、とキリストは仰せられました。(参照 ルカ9章61節〜62節)過去の否定的な体験を握り続けるのは、毒蛇に捉えられ続けることのようであり、手放すことが大切です。(参照 使途行伝28章5節)


つまり、敵のために祈ることを通してのみ、自由を体験できない場合があります。何故ならば、私たちが、傷つけられた過去の体験を握りしめ続け、その根が深くなり、根から処分することが求められるようになってしまったからです。これは非常に重要なことです。神様が創造された植物の根は、下に伸びて、成長していきます。外側では敵のために祈っているから、赦し、手放しているように見えても、真実は、深くなった根を処分する必要も出てきてしまったのです。更には、根は肉眼では見えづらい領域ですから、私たちの意識では気付かない内に、根が伸び続け、深くなり、神様が喜ばれない言動を無意識のうちに行っている可能性もあります。


私たちが単に誤解している場合もありますが、その誤解も私たちには何の価値も無いのです。私たちは神様の愛をもって、人々を信じ、その言動の最善を求めることが大切です。自分が酷い事をされたと感じても、その人に対しての最善を信じましょう。その人は、本当に貴方を傷つけようとしたのでしょうか。もしくは、ただ単に良い動機で物事を進めようとしただけでしょうか。(参照 第一コリント13章5節)


今日も神様が喜ばれないもの、特に考え方を握りしめ続けるのを止めましょう。人間関係で体験した様々なネガティブな事は、今すぐ手放し、振り払い、前進し続けましょう。また、私たちが人々を愛し、信じることは、誤解を取り除き、人々の良い動機や言動を信じ、期待することにつながります。


神様の豊かな祝福がありますように!


閲覧数:6回0件のコメント

Comments


bottom of page