今朝のデボーションはエゼキエル22章6節〜12節です。
神様がエゼキエルを通して、イスラエルの民の罪に関して、語られました。
アダムとエバが神様の御指示に背いた後、お互いが裸である事を知り、恥じらいという感情をおぼえるようになりました。(参照 創世記3章7節)自分自身に関して恥ずかしく感じるという考え方は、あらゆる罪を引き起こす原因となっているのです。
洋服を着ないで生活をするように促しているのではなく、私たちができれば隠したいと考えるような事があるかもしれませんが、それを隠さずに、共有することはできますでしょうか。聖書では、お互いに罪を告白して、祈り合うように教えています。(参照 ヤコブ5章16節)
私たちは、信仰により、神様の義であるのです。このためにキリストが十字架上で死なれたのです。(参照 第二コリント5章21節)つまり、真実は、恥じらいからも自由になっているのです。
今日も、一つの事に焦点を合わせ、(参照 ピリピ3章13節)今を大切にして、(参照 マタイ6章34節)あらゆる恥じらいの感情を手放しましょう。御言葉が私たちを自由にするのです。(参照 ヨハネ8章31節)
神様の豊かな祝福がありますように!
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