今朝のデボーションはエゼキエル21章24節〜27節です。
エゼキエルは引き続き、神様が導かれた通りに、イスラエルの民に対して、神様の裁きに関して語り続けました。神様が忍耐され続けましたが、その裁きの時が来た、と語られました。高ぶるイスラエルの民が低められ、謙る者たちが高められることも語られました。このような状況が続いた後に、キリストが来られることも語られました。
私たちが大切にすべきは、何よりも神様との関係です。神様が私たちにするように導かれることは、必ずしもこの世の中に評価されるものとは限りません。私たちが直面することが批判であっても、神様から来る平安により導かれ、歩み続けることが大切です。(参照 コロサイ3章15節、ヨハネ16章33節)このようにして謙り、歩み続けるとき、私たちは高められ、全てにおいて栄える信仰生活を歩むようになるのです。(参照 第3ヨハネ1章2節)
物事が私たちの期待通りに進まないことがあるでしょう。しかし、神様は、正しいことをし続けるように教えられています。そして、神様の時に、祝福の収穫を刈り取ると御約束されています。忍耐して、正しいことを、神様が喜ばれることを継続しましょう。(参照 ガラテヤ6章9節)全てにおいて、神様の時があるのです。(参照 伝道者の書3章1節)
今朝の箇所の最後には、キリストがこの世に来られることも預言されています。キリストがこの地上に来られたのは、私たちが罪人であったときでした。神様に心を背け続ける人類に愛を示すために来られたのです。(参照 ローマ5章8節)そして、十字架に架けられたことを通して、私たちは神様の義の賜物を受け取り、(参照 第二コリント5章21節)新しい命を受け取り、(参照 第二コリント5章17節)キリストの様に変えられたのです。(参照 第一ヨハネ4章17節)私たちの過去の恥じらいは、栄誉に変えられ、(参照 イザヤ61章7節)嫌な出来事で傷付けられた心は、根から引き抜かれたのです。(参照 第一コリント13章5節)
今日も何よりも神様との関係を大切にしましょう。そして、心を守り、平安を大切にしましょう。世の中では思い通りに物事は進まず、厳しい状況に直面するのです。
神様の豊かな祝福がありますように!
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